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語学を学ぶ楽しみ

使いもしない言語を勉強することが多いです。学生の頃から気の向くままにドイツ語、フランス語、スペイン語、韓国語などの授業に出たり、自分で文法の本を買って解いたりしていました。現在実用に耐えうるのはぎりぎり英語とフランス語のみという情けない状況ですが、なかなか楽しんで勉強していました。最近は仕事もあり、学生の頃のように気ままに語学を勉強する時間もなくなりましたが、暇を見つけて細々と続けています。

技術発展によって語学を学ぶ必要性なんてなくなる

しかし、最近はGoogle翻訳の精度もみるみる上がってきて、なんだか近いうちにどんな言語も自動翻訳してくれるようになるのではないかと思えてきます。今でも定型文に近いメールなどはほとんど完璧に翻訳してくれますね。

ではなぜ勉強するのか

暇なわけでもないし、仕事で英語以外の語学が必要な訳でもない、技術が発展してどうせすぐに実務上の必要性なんて無くなりそう、このような状況下で、なぜ語学を学ぶのでしょうか。もちろん繰り返してなにかが出来るようになることはそれだけで嬉しいものです。しかしそれ以外に、なにかもっと別の楽しさがあるのではないか?

常に外側にいる語学学習者

そんな疑問を持ちながら、先日来る検定試験のためにせっせと問題集を解いていたところ、とても府に落ちる文章がありました。
語学学習者という存在は現実の場面に参加し演じつつも、どこかでそれをフィルター越しに眺める観客のようなところがあります。(中略) 語学学習者だからこそ体験できるコトバとの関わりや触れあいもまたあるはずです。       「実用フランス語検定試験 2級 傾向と対策 」森田秀二(駿河台出版社)

勉強することがただただ楽しくて、今までに何千時間も費やしてきた英語だって、未だに簡単な英作文のニュアンスにも自信が持てない。きっと死ぬまでネイティブの感覚にたどり着くことは出来ないのでしょう。だからこそ私たち語学学習者だけの楽しみが存在します。

新しい言い回しを覚えたとき、そのフレーズを映画で聞いたときや本の中に見つけたとき、私たちはその文化に触れることができます。ネイティブの分かっている細かいニュアンスは全然理解できていないのかもしれないけれど、観光地にいった旅行者が地元の人は感じることのできない美しさを感じるように、私たちは別の文化に触れることで強い喜びを感じます。

例えSiriがフランス語をペラペラに訳してくれるようになったとしても、単語を覚えて、文法を理解しながら地道に勉強したいなと思えます。日本語を母国語とする私にしか見えないフランス語の世界があるからです。旅行にいくのも楽しいですが、問題集を開いても同じように別の言葉によって作られる世界を覗くことができると思います。

ということで、今後も語学学習はしばらく私の暇な時間を潰してくれそうです。